ここ新宿は、父が住み愛し、そして果てた地。
ボクも若い時分は父を頼って、東京へ何度か来た。
合計で2年くらい居たのかなぁ・・・
ボクの人生でも、強く思い出が或る場所でもある。
あれは、野茂英雄がアメリカでノーヒットノーランを達成した時期だった。
その頃は友達も多くが東京にいたので、ほぼ週末は皆で集まりお祭り。
それぞれの住んでいる所で遊び、呑んだ。
たくましいヤツもいて、この大いなる東京で残金が100円切っても慌てないヤツもいた。
上野、秋葉原、蒲田、池袋、堀切、新小岩・・・
渋谷はあの頃に比べると大分変ったよなぁ。
前の東京はもっとギラギラしていて、トゲトゲしい場所だった記憶がある。
そこでボクらは、失敗も楽しみながら多くを学んだ。
あの頃は、まさにネオ東京。
沖縄と比べるとすべてが大きかった。
うちなんちゅはまだ、珍しがられていてネタになっている感もあったよなぁ・・・
今ではそんな事は感じないけどね。
特に堀切での思い出は色濃く残る。
下町3年とは良く言ったものだ。
そっけない部分もあるが、入り込めたら暖かい下町。
ここでは書ききれないほどの出来ごと、思い出。
父は新宿中井に住み、駅周辺は相当面白かった。
駅を降りるとすぐにキラーカーンの店がある。
1Fは酒場で地下は飲み屋。
昼間は近くのパチンコ屋のハネ物で、台を叩くキラーカーン。
線路沿いにある、父たちの行きつけ酒場になってしまったカフェ。
そこの女将、娘は、今、元気だろうか?
そして、妙に旨いミネストローネがある飯や。
銀座での黒服時代に仕事帰り、いつも一人寄って呑んだ酒場。
そこの突き出しは、いつも渡り蟹の揚げだったなぁ。
父の取り巻きも個性があって、良い人たち?だった。
父の知り合いには、ミャンマー人が多く、よく歌舞伎町のミャンマースナックに連れて行ってもらった。
もちろん文字はミャンマーのだった。
父はとにかく呑み歩く。
沖縄にいたときからだけどね。
その時には、その酒場の良さがボクには分からなかった。
3年前父を迎えに行った際、中井駅周辺を散策したが、あの当時の面影はなかった。
ボクの記憶違いなのかも知れない。
確かめたい事があったが、確かめる事は出来なかった。
今回、ここ「思い出横丁」で偲びながら確かめたいと思う・・・
一軒目はココ、名店カブト。
2005年1月に吉田類酒場放浪記で紹介された酒場でもある。
酒は銘柄なんだっけなぁ。
当然そんな高いモンではないけど、ココで呑むから沁みる酒だ。
ここでは3杯。
鰻串を一通りで。
コレはカブトと何だっけ?
なんとも味がある。
いちいちこの串は何だっっか覚えてないけど、まぁ旨いこと。
カボト他には、えり、ひれ、きも、レバーがあるみたい。
コレはレバーかな。
身の串かな。
店のおばちゃん、お隣さんと楽しくユンタク~
いろいろ話しして楽しかったなぁ。
相当、良くしてもらったよ。
想いを相手にぶつける。
配慮は必要だが、通じるよねぇ。
父もおそらく楽しんだだろう。
「果ての地で 求め彷徨う カブトムシ」
新宿の心は広い!
何だか、少し分かる気がしてきた。
東京都新宿区西新宿1-2-11思い出横丁
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13006700/